映画『貌斬り KAOKIRI』公式サイト

特別寄稿&コメント&ボイス

特別寄稿

  • 長谷川一夫と馳一生
    佐藤忠男さん(映画評論家)

    細野辰興監督の映画『貌斬り KAOKIRI』は、一九三七年に起って日本中を騒然とさせた映画スター林長二郎への傷害事件に着想を得ている。林長二郎は当時、松竹下加茂撮影所所属のトップ・スターから、東宝に引き抜かれたばかりであり、その東宝での第一作の撮影中のある夜、スタジオから帰るところを一人の犯人から襲われて顔を斬られたのである。犯人はやくざで、カミソリを二枚重ねて頰を斬ったので、美男で評判だった長二郎の顔を傷つけて俳優をやれなくするというねらいだった。斬られた長二郎にもそのねらいは分かっていて、病院に担ぎ込まれた第一声は「鏡を見せてくれ!」だったという。

    この事件は、予想されていたとは言えないにしても、なにか起りそうだという気分の中で起ったものだった。それというのも、当時松竹は長二郎を、新人から大スターに育てあげてくれた会社への忘恩の徒としてののしるキャンペーンを展開しており、これに対して東宝は、恩だの斬りだのという封建的なことばかり言って大金を稼ぐスターを安い金で縛っているから日本の映画会社は遅れていてダメなんだと反論して、自分たちこそ日本の映画産業の近代的合理化をなしとげてみせると主張して論争になっていたからである。

    顔斬り事件の起る前までは松竹の主張のほうが優勢で、林長二郎は義理人情の日本的美徳をないがしろにするものだと非難する気分がかなり強かったらしい。だから犯人は、そうした動きに煽られて行動を起したのだと認められ、彼の個人的な犯行だとして裁判も結着した。そして世論は、しかしいくらなんでも顔斬りとはひどい、映画界はやはり、もっと近代化、合理化を進めるべきだという東宝の主張を納得する方向に動いた。

    それというのも犯人がやくざだったからで、多くの人が、犯人は誰か映画界の黒幕的な人物の指示でやったのだろうと疑ったからである。いろんな説が噂として流れたが、それらの噂に証拠はないし、裁判も実行犯の単独犯行として終っている。なぜか被害者の林長二郎自身、事件の背後関係を深くは追わないでほしいと関係者たちに頼んだと言っているという。彼の頰の大きな傷は意外によく治り、まもなく東宝で撮影に復帰できるようになった。そしてそのとき、彼は松竹から与えられていた林長二郎という芸名をかねてからの松竹の主張に応じて返上し、生れながらの本名の長谷川一夫として、新らたに山本嘉次郎監督の新作『藤十郎の恋』(一九三?<※1955?>)に出演した。顔を斬られたときは『源氏九郎義経(?)』という作品の撮影をはじめたところだったのだが、あえてその作品を止めて、江戸時代の美男の歌舞伎役者として伝説的に知られた人物の役に変えたのも、顔斬りの災難を克復<克服?>して美貌はこのとおり健在であると、あえて誇示したい意地のようなものが長谷川一夫と東宝の人々にあったのかもしれない。以後も一九六三年に映画を引退するまで長く長谷川一夫は美男スターとしてスクリーンに君<君臨?>するが、傷跡に気づかれたことは全くない。

    じつはこの顔斬り事件まで、映画会社の各社間のスターの引抜き事件はしょちゅうあり、そのたびに暴力沙汰はよくあったのだが、この事件以後、引抜き問題は繰り返されても、それに暴力事件がともなうことはなくなった。それだけこの事件は映画界と暴力団とのつながりなどの古い体質を反省させる大きな出来事だったわけである。

    長谷川一夫が映画から引退したときはまだ五五才。時代劇映画には殿様とか親分とか、年輩のいい役はたくさんあるので、まだ引退に早いのだが、それだけ美男俳優であることにこだわったのだろうか。以後も舞台には出演しているが、晩年のいちばん大きな仕事は宝塚歌劇団に招かれて少女歌劇の「ベルサイユのばら」の演出をやったことである。若い女性たちを美少年、美青年に変身させるという宝塚独特の仕事を、それ専門にやってきた人々を押しのけてやって大成功させたのだから、長谷川一夫は正に、美少年、美青年の専門家だったと言わなければならない。

    彼は俳優として、どういう身ぶりをしたら美しく見えるか、どういうしぐさをするのがさらに効果的かといったことを自分の出身である歌舞伎の型のように工夫することが好きで、それをまた後輩たちに教えたがり、みんなから”教え魔”と呼ばれていたそうである。それを聞いて私は、かつて若い頃に共演作品の多かった高峰秀子さんに、「教え魔の長谷川一夫さんから何か教わったことはありませんか?」と聞いたことがある。高峰さんはこうおっしゃった。「いろいろ教わったけど、右の耳から入ってきて左の耳から消えて行ったから何も憶えていない。長谷川先生のは形から入る演技なのだけれど、私はその頃、杉村春子先生の演技にショックを受けて、杉村先生の”気持から入る演技”というのに夢中だったから」ーーということだった。

    杉村先生の”気持から入る演技”とは、当時、つまり昭和十年代頃から日本の新劇に影響を及ぼすようになってきたロシアのモスクワ芸術座の演技理論のことで、演技をおきまりの型としてとらえるのではなく、その役の人物の気持を考え、その気持になることが出来れば自ずから体の動きも出てくるという考え方である。

    さて、細野辰興監督の映画『貌斬り KAOKIRI』である。これは馳一生(ハセ・カズオ)という往年の大スターが経験した顔斬り事件を舞台の演劇として再現してみることによって、あの事件の知られざる真相を明らかにすることができないかという演劇的実験を試みるという映画である。馳一生が長谷川一夫の仮称であることは言うまでもない。そこで明らかにされるべき謎とは、犯人はなぜそんなことをしたのかということである。裁判ではとりあえず、当時松竹側が流していた長谷川一夫の義理人情を否定する行動に対する憤慨から、ということになっているが、そんな理屈ではなく、本当に彼をつき動かしたものは何か、ということである。その気持を理解することができれば体は自ずから動くはずだというスタニスラフスキーの理論が正しければ、実際の行動を忠実に再現できればそのときの本当の気持も掴めるはずだという逆算であろうか。

    この作品に「戯曲ユニット『スタニスラフスキー探偵団』より」という副題がそえられているのが興味深い。私が長谷川一夫のことを調べていて高峰秀子さんとの何気ない会話を思い出し、そこにスタニスラフスキーの演技論との関連を連想したのは全くの然であるが、じつは私は細野辰興監督が「スタニスラフスキー探偵団」と称する演劇活動を行っていることは以前から知っていた。ただその意味がよく掴めなかったのだが、こんどはよく分った。人間の行動にはそのもとになる動機がある。気分があり感情がある。それらを正確に把握できればその意味もはっきりと掴める。それを逆にたどって、行動をしっかり認識できれば本当の動機も掴めるということか。

    その具体例として、馳一生の顔に斬りかかるという行動をやってみて、その細部を分析することで犯人の動機に至ろうというのだ。これは演出家が台本や俳優の肉体の動きからその作品の主題へとさかのぼるのと同じで、映画や演劇の実際的な作業そのものである。面白い。スタニスラフスキーはそうも読める。舞台にも映画にも、さらには人生にも応用できるものの見方、考え方である。しかしこれは楽な作業ではない。行動と動機、動機と気持を結びつけるものはとても多様で複雑であるからだ。簡単には越えられないその難問に向い合って、もう笑うしかない状態に至る。そのおかしさといったらない。真実の追求とはそういうものなのであろう。

  • 娯楽映画の彼方に 映画監督・細野辰興の世界
    佐藤利明さん(娯楽映画研究家)

    細野辰興監督は無類の映画ファンである。会えばいつも、山田洋次の「男はつらいよ」シリーズや加藤泰の『遊侠一匹 沓掛時次郎』(66年)がいかに良いか、シナリオや演出のどこに惚れ惚れしたか。互いの娯楽映画体験を話し、共感し、共鳴し合う。映画監督と娯楽映画研究家の関係というより、映画ファン同士の交流を続けている。僕が監督とTwitterやFacebookで映画談義をしているのを、ご覧になった方もおられると思う。

    『貌斬り KAOKIRI~』は、ご存知のように2015年1月に再演された、細野辰興作・演出の舞台「スタニスラフスキー探偵団」(高円寺・明石スタジオ)を映画へと発展させたもの。

    日本映画史に残る、長谷川一夫の顔切り事件をモチーフに、長谷川一夫=林長二郎をモデルにした馳一生の「貌斬り事件」の謎に迫る新作映画を撮ろうとする映画人たちの狂熱を描いている。「舞台なのに映画」。

    長谷川一夫事件を知っている映画ファンなら、巧みに仕掛けられた映画史的な記憶を刺激され、新たな映画史を作ろうとしている風間監督(草野康太)が紡ぎ出す言葉から映画監督の内面の葛藤に、不思議な共感と驚嘆を得るだろう。

    この芝居の再演計画を、監督から伺ったのは、とある映画の試写の帰り。その時、クライマックスに流れる歌謡曲の許諾関係の相談を受けた。内山田洋とクールファイブのために阿久悠が作詞した「恋唄」が、主人公たちの感情の爆発と重なって、観客に不思議な感情をもたらしてくれる。初演は「東京砂漠」だったが、知る人ぞ知る「恋唄」をセレクトしたことにより、受け止める側のヴォルテージが上がった筈。

    しかも、同時に舞台を映画にするという。「映画の舞台」を映画にする。二重構造の舞台を、さらに映画にすることで、「貌斬り KAOKIRI~」は観客を多重的な空間に誘う、フィクションのフィクション、すなわちメタフィクションとなった。本作に限らず、細野映画は、様々な映画へのメタファーに満ちている。

    これは2002年、細野監督が映画『竜二』(83年・川島透)と主演の金子正次を題材に、映画製作に人生の最後の瞬間を賭けた金子正次(高橋克典)たちを、感動的に描いた『竜二 Forever』と同じアプローチである。

    この作品は単なる再現ドラマでも、青春グラフィティでもなく、金子正次(高橋克典)の映画愛をモチベーションにした、映画と心中をした男を温かい愛情を込めて見つめている。

    劇中、金子正次が日活映画『無頼 人斬り五郎』(68年・小沢啓一)の主題歌を、低い声で渡哲也のように歌う。さらに妻・幸子(石田ひかり)と初めて結ばれる直前、坂道を二人で歩く時、遅れ気味に歩く幸子は、どうしても「無頼」シリーズの松原千恵子のヒロインと重なる。僕らの映画体験を鼻腔からくすぐるように。しかも、これが単なるオマージュではなく、幸子の金子に対する愛情のスタイルであることが、映画が進むにつれて分かってくる。

    ことほど左様に、細野辰興の人生に影響を与え続けてきた映画、ことにプログラムピクチャーへの想いが、時には無意識に、時には大いなる企みの中で、どの作品にも、滲み出ている。しかもそれがオマージュにとどまらず、作品世界を作り上げる重要なメタファーとして機能しているのだ。

     1991年、デビュー作となった『激走!トラッカー伝説』は、小西博之のトラック野郎と、自衛隊上がりの新人・渡辺裕之がコンビを組んで、北海道から九州まで爆走するという「トラック野郎」のリブート作品。

    デビュー作だけに、細野監督の娯楽映画趣向が凝縮されている。自衛隊出身の渡辺に、小西は「自衛隊ってのは、ゴジラを落とす穴を掘っているだけかと思った」と言う。渡辺は「ゴジラを倒せるのはモスラだ」と、『モスラ対ゴジラ』(64年・本多猪郎)を前提に答える。

    これは映画で育った人間の日常会話だし、財津一郎の夢半ばで病臥するトラックドライバーの愛称が、『拝啓天皇陛下様』(63年・野村芳太郎)で渥美清が演じた“山正”だったり。

    しかもクライマックスのキーワードは、石原裕次郎の『赤いハンカチ』(64年・舛田利雄)の名台詞「今じゃない!」なのである。

    1996年、役所広司主演の『シャブ極道』は、細野辰興の代表作となった。しかも164分の超重量級。そこで繰り広げられる世界はめっぽう面白く、人間の業を肯定しつつ、時にはセンチメンタルな感覚にさせてくれる。

    昭和48年の過去から平成7年のリアルタイムへの、シャブで人を幸せに出来るという信念の真壁五味(役所広司)と妻・鈴子(早乙女愛)が生きた時代を、豪腕ともいうべき映画体力で描ききっている。

    当時、Vシネマ全盛時代で、極道ものが数多く作られていたが『シャブ極道』が際立っていたのは、詳述してきたような先達たちの娯楽映画への愛だけでなく、それを受け止めてきた細野の映画と自分達が生きている時代への眼差しの熱量の高さにあった。

    田中角栄に始まり、昭和天皇の崩御、そして平成。観客とともに細野が生きてきた時代の中で、主人公の破天荒な“シャブ極道ぶり”が描かれ、クライマックスには阪神淡路大震災が発生。

    被災した神戸で撮影された映画は、もはや映画ではなく、現実とフィクションが混沌と混ざり合うメタフィクションの世界となった。しかも真壁が宿敵・神崎(藤田傳)と一騎打ちをする、神戸港の海でのボートでの戦いは、石原裕次郎の『赤い波止場』(58年・舛田利雄)や渡哲也の『紅の流れ星』(67年・舛田利雄)のロケ地でもあり、それに気づいた瞬間、また堪らない気持ちになってしまう。

    今村昌平門下の細野監督は、今村の『ええじゃないか』(81年)あたりから、相米慎二の『東京上空いらっしゃいませ』(90年)までの助監督を務め、映画表現の体力を肉体で吸収している。

    心理描写、情緒、それをどう表現すればいいのかを、具体的なカット割や、演出リズムで体得しているから、どの作品も面白く、的確で、感情移入しながら楽しむことができる。観念の作家にありがちな、作品の破綻がない。

    そうしたヘビーな映画体力あればこそ、役所広司と最初に組んだ『大阪極道戦争 しのいだれ』(94年)、『シャブ極道』、『売春暴力団』(97年)の“関西極道三部作”をものすることができた。

    この三部作に通底しているのは、無軌道だが、常人には理解しがたい行動原理を持つ、破天荒な主人公を“愛らしく”描いていること。それは山田洋次監督の『馬鹿まるだし』(64年)でハナ肇が演じたムチャクチャで粗野な男に通じるし、舞台となったディープ大阪は、山田の『吹けば飛ぶよな男だが』(68年)で描かれた世界と繋がっている。

    三作目の『売春暴力団』で永島敏行と川名莉子が演じた、腹違いの“あにいもうと”の恋情は「男はつらいよ」で山田洋次が“セックスの介在しない究極の恋人”として描いた寅さんとさくらの関係を思わせてくれ、犬塚弘が演じた二人の父親である組長が、本作もまた娯楽映画の系譜にあることを再認識させてくれる。

    しかも『売春暴力団』での切ないまでのセンチメントは、そのまま『私の叔父さん』(12年)の高橋克典と寺島咲の“叔父と姪”の恋情へと発展していくのだ。

    細野映画は、こうして題材やテーマも、作品を越境して、常に現在の作品へと繋がっている。しかも、時にそれは奇跡とも言うべき瞬間を捉えることがある。“関西極道三部作”では、阪神淡路大震災前後の大阪、神戸の変貌を期せずして映像に残している。

    また『竜二 Forever』のラスト、志半ばで監督を降り、挫折を味わった田中豊(香川照之)が、金子正次の死後程なく、映画館で『竜二』を密かに見て新宿の交差点を渡る時に、映画のラストシーンのまま竜二(高橋克典)が歩いてくる。『竜二』と『竜二 Forever』のラストが感動的にリンクする。しかも新宿東口駅前の『パールハーバー』や『ギフト』といった2001年現在の映画看板が、竜二の背景に映り込む。意図したわけではないだろうが、このショットには、83年に33歳の若さで夭折した金子正次が、高橋克典の竜二の姿となり、20世紀の現在を歩いている! と感動を覚える。

    この感覚を膨らまし、これの手法をリフレインし、長谷川一夫の時代と、演劇と、映画と、観客を繋いでしまうメタフィクション『貌斬り KAOKIRI~』という奇跡の作品に昇華された。そこには、娯楽映画や、映画史を生きた先達たちへのリスペクトと、今、映画を作り続ける細野自身と、彼が指導している後進の映画人への熱き思いに満ちている。その熱情が2時間23分に凝縮されている。

    作家の特徴ということでは、細野辰興は「生粋の映画ファン」の映画監督である、と断言してしまおう。

    作り手でありながら、最高の映画ファンであり、その映画がいかに面白いか、良かったのかを、自作の中に刻印し続けている。それはどの作品にも、様々な形で息づいている。

    これまでも、これからも・・・

コメント

  • 形から入る演技か?気持から入る演技か? 自分はそんなことを映画から感じました
表現者にはオススメの映画です(^ ^)

    ヒロさん/パーソナルトレーナー、モデル
  • タイトルで、観るのを迷ってはいけない。本作は、まごうことなきエンターテイメントの力作だ。ひたすら面白い。演劇と映画をめぐる虚と実の小難しい会話劇などではない。両者にまたがる虚と実の様々な具材が、不均衡な形でまるごと鍋のなかに放り込まれて料理され、ぐつぐつと煮え立っていくかのようなダイナミックかつ破天荒な描写の数々が、全く得難い魅力なのである。

    大高宏雄さん/映画ジャーナリスト 
  • 映画「貌斬りKaokiri」を見た。2年前同じ高円寺の明石劇場で同名の舞台を見た。舞台上に撮影カメラがどうどうと鎮座し、写真家としては不思議な気分にさせられた。モチーフはかつて、かつてといってもいろいろあるが、僕の子ども時代でもすでにかつてだった、天下の二枚目長谷川一夫が、貌を切りつけられた実話の映画化にまつわる話だ。そこにはいくつものなぜが重なる。今、なぜ長谷川一夫なのか。若い人はわからないが「おのおのがた」というだけで集団記憶装置が反応する世代もいる。大スターが大スターの時代。今やそんなスターは日本のどこにもいない時代。舞台の上で草野演じる、マイナーな映画を作り続ける、少し気負った監督が、舞台と楽屋とカメラのなかで、舞台の背後の素を演じ、舞台にあがって素が形式を演じ分ける。それどれもが映画の中のフィクションとして進行し、何がなんだかわからなくなる映画だった。ただ、実に面白い。はるか昔のメージャーを、マイナーな場で演じ、どたばたであるとおり、話はあまり進行せず、それでも飽きさせないエンターティメント。アメリカ映画、演技法の父、スタニスラフスキーのロールプレーまで飛びだし大団円にまっしぐら。ひとつ「君は役者になるには優しすぎる」って、君は「芸術をやるにはやさしすぎる」だなと。そんな軟弱芸術の時代、どの世界にも役者バカ、写真バカがいるんだなって嬉しくなった。あっというまの2時間半でした。忙しい人には無理でも、ちょっとこのなにごとも硬直した時代、あほであることの大切さ、勇気を湧き上がらせる有意義な、価値ある映画でした。

    横木安良夫さん/写真家
  • やだーー、泣いちゃった!!
    特に、 ノンケじゃなくバイセクシャルに惚れたホモセクシャルの(どんだけマイノリティ?)、 あまりにも報われない忍びに忍んだ恋慕に胸を締め付けられて・・・。
    帰る場所も行き場もない切羽詰まった生きづらい、
    不器用で救われない人間の狂気に、
    やさしく手を差しのべるこの作品。
    若さにはない、幾重にも重なった哀しいトラウマを刃で切り裂き、
    再び、生命の輝きをえぐりだす怪作カルト美中年映画だわ!!

    オネエ祈祷師びびこさん
  • 舞台の魔力に取り憑かれた役者の情熱、逃げ出したくなる恐怖。そんな様々な心理を、舞台まるまる一本釣りの本マグロのようにどっぷり味あわせてくれ、しかも謎解きの面白さも! ポアロのように、灰色の脳細胞が、ドラマを生み出し、勝手に犯人をイメージ付ける不思議映画だ!

    国弘よう子さん/映画評論家
  • この映画は、舞台そのもののおもしろさ、舞台裏で繰り広げられるスリリングな展開、カミソリが本物にすり替えられるサスペンスなどが相まって実に見ごたえのある作品になった。細野監督が今村昌平監督から受け継いだねちっこさが生きている。

    野島孝一さん/映画評論家
  • 実際に起きた役者の顔斬り事件を通して、何と現代日本と日本映画界の闇が見えてくる! 現実も演劇も映画も、全てはお芝居であり、また真実でもある。人が人を演じながら生きる人生讃歌、これを見ずに2016年の映画を語るなかれ!

    増當竜也さん/映画文筆
  • 最後までのめり込んで見てしまいました。役者さんの舞台と映画の台詞の使い分けとか凄いなと思いました。本当に良かったぁ。

    田村和宏さん/プロレスリングHEAT UP代表
  • 激論映画だ。啓蒙映画だ。そうか、人々は真実なんか追及していないのか。皆、仮説を出し合っているだけか。政治も経済も。恋愛だって犯罪捜査だって。誰の仮説が一番説得力があるか。喜ばれるか。それを人々は受けいれて社会は進んでゆく。僕らだって仮説だ。でもこの激論映画には引き込まれる。強制的に参加させられる。映画の常識もルールも破った。これはもう映画ではない!

    鈴木邦男さん/一水会
  • 主演の草野康太君はいい意味で役者バカである。
    とにかく芝居が好きで好きでしょうがないのが
    本作の危機せまる演技と共に伝わってくる。
    歳を重ね、大人の渋味と色気、存在感や男っぽさが
    加わっていい役者になったなぁ・・とつくづく思う。

    沖直実さん/イケメン評論家
  • 見終わってから反芻して、あれこれ言いたくなる、面白い映画です。芸能についての映画、演劇についての映画で、それも小劇場の舞台上と楽屋裏からなる世界で、舞台俳優の演技についての映画なのですが、しかもなお、「ああこれは映画でなければ表現することのできない演技論だ」と圧倒的に納得させられるのです。その逆説にうちふるえてしまう。

    川崎賢子さん/演劇・文芸評論家
  • この映画はほぼ全編一発勝負だ。
    死ぬか生きるかであり、
    自分自身を自分で追い込んでいくことで尋常ならざるエナジーをおのれの中から絞り出そうともする。
    役者が生死ギリギリの限界点で肉体と知がまぐわう原始の表現者であることも露わにする。
    長谷川一夫のように役者の“命”の貌を斬られる、
    もしくは貌を斬って血を見るぐらいの覚悟で役者に臨む。

    行川和彦さん/音楽評論家

ボイス

  • 昨日は映画「貌斬り」を観劇。長谷川一夫の顔切り事件をモチーフにした劇中劇。楽屋から階段で舞台に上がると人から役者に切り替わるリアルさが面白い。推理、恋愛、笑いの要素もあり143分があっという間。草野康太、山田キヌヲの演技が熱く素晴らしい。これはスクリーンで見るべき映画。

    ハチミツさん
  • 刺さるセリフがたくさん。臨場感あってずっと緊張しながら観てました。興奮が冷めなくてあまり上手い事言えませんが、私も善良な市民には戻れません! 貌斬りはとにかく草野康太さんの情熱が伝わって来る作品。劇中の共演者たちがホントに心配してるような感じの臨場感が観ていてぞくぞくした。そしてしっかりと「人間」を見つめて切り取っている作品。素晴らしい。

    中野未穂さん 1
    中野未穂さん 2
  • 劇中劇に集中して観ていたら、次第に緊迫する空気にとてつもない苦しさを覚えて後半ずっと瀕死。舞台を生きる「芸能の民」達が虚構と現実で交錯する地獄変。この映画の為に上演された舞台も観たかった。

    れい Reiさん
  • え、なになに!誰なの!と思いながらもずしっときた。いろいろな見方ができるかと。そして役者の皆様、、、圧巻でございます。いやーおもしろかった。

    新田桃さん
  • 舞台→舞台→映画と観ましたが舞台では見られなかった演者さん達の表情動きが表現されていて、スクリーンで映し出されているのだから2次元の筈なのに物凄い臨場感で、フィクションの筈なのにドキュメンタリーで。もう全然整理出来ないので来週もう一回観に行きます! すっごく面白かった!!なんかもう凄い映画を観ちゃった感じ♡気分がいいのだ~♫

    みつきもとha*na工房さん 1
    みつきもとha*na工房さん 2
    ※文字化けの恐れがあるので絵文字を変換して掲載しています。
  • 劇中劇での観客席の笑いと映画館での笑いがシンクロする不思議な体験。

    マッチャンさん
  • 最後まで同じテンションで観られる作品。143分間という長い尺を一切感じない、欠伸一つ出ない物語でした。役者とは何か、演じる事とは何か。他人を演じる事は楽しくもあり、反面とても恐ろしい事だと心から感じました。役者に限らず全ての人に見て欲しい作品です。

    nobutaka hattoriさん
  • 圧倒的な情報と熱量。虚構と現実と虚構の境が消え失せる。処理する間も無く感情とシャレードが押し寄せ、前のめりにさせられる。演じることの恐ろしさ、誰しもが演じていること、突きつけられる。行き着く先が愛の流浪であり、それが禁断の果実だとしても。人はそれを求めるべきなんだ。 

    須森隆文さん/俳優『ぼくらの亡命』
  • 劇中劇中劇といった入れ子構造で、自分は一体、どこになにをみにきたのか分からなくなる。草野さん、キヌヲさん、和田さんら、役者陣の鬼気迫る芝居もさることながら、撮影道川さんの美しい画作り、録音、編集の若林さんの才能に感嘆!楽屋での秒針の音の演出が素晴らしい!

    hidekiさん
  • 舞台を観てるような映画でした。スクリーン越しに見ているはずなのに、役と自分の人格を混同させていく登場人物にどんどん飲み込まれていきました。
    「貌斬り」良い作品でした。

    kumingさん
  • 舞台劇の部分だけでも十分見応えがありますが、バックステージでの物語を組み合わせることで、舞台劇そのものの観方が変わり、よりスリリングなサスペンスに仕上がっている。舞台上から撮る映像も臨場感があります。面白かった。

    こだまけんたろうさん
  • あえて事前情報は最低限しか入れず観た143分。長さは全く感じないほどのめりこめた。先に言ってしまうけど、とっても面白いのでオススメ。

    あおちさん
  • 演じる上で重要な事として、役になり切る事と本物のカミソリで顔を斬る事はちょっと違う気はするが、見事な舞台と映画の融合は超斬新!両方に配された謎解きも面白く演技も素晴らしい!まだ一つ残された謎を想像するのもまた一興。

    絶対の客人さん
    ※文字化けの恐れがあるので絵文字を変換して掲載しています。
  • 一睡もせず観たので寝ちゃうかも?と思ったが、寝ずに観賞!それぐらい面白かった!ベースとなる舞台は観賞済みで舞台のオチは解ってる筈なのに、舞台&作品のクライマックスで涙してしまうぐらい感激!

    捨文亭NALU王さん
  • これはトランプ的超絶新価値観なのかも?異界の魂を演じる舞台役者を舞台上のカメラが捉えた新世界です!

    Yamato Ishikawaさん 
  • 山田キヌヲさんの白い肌と赤い唇の迫力
    いやもう本当に素晴らしい
    観ているこちらも緊張感を保ちつつ でも時折クスッとなるシーンもあり
    観終わって爽快!

    後藤 Sunnyさん
  • 海外の芸能内幕モノなら気楽に観れるのだが有名な事件でもあるし、、、しかし半面、映画は、お話は自由に放り投げられればいいのだなと。草野くん始めキヌヲさん、和田、かねこくん、佐藤さん、勿論キャストの皆様、監督の細野さん、ただただ圧倒されました。

    川瀬陽太さん/俳優
  • 『貌斬り KAOKIRI』@新宿K’s Cinema 
    全編に漂う緊張感と、言葉の数々に圧倒されつつも、深く胸に突き刺さった。
    映画監督も役者さんも、プロデューサーも助監督も、何かしらの物作りにたずさわる人々は、是非この映画を観てほしいです。
    この映画に、僕は勇気をもらいました。

    内田伸輝さん/映画監督
  • 劇場が舞台の映画ってなんか閉塞感あって苦手なんだよなとか、タイトルからして怖そうな映画だし監督も怖そう…と勝手に思っていた映画『貌斬り KAOKIRI 戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より』ですが、余りにもパワフルな芝居とある意味アイロニカル?なセリフに途中から引き込まれました。

    小島悠介 Yusuke Kojimaさん/ディレクター・シネマトグラファー
  • 僕に演劇の面白さや、芝居をどう見ていいのか教えてくれた映画です。初監督の前に見たかった!

    切通理作さん/評論家・脚本家・映画監督
  • 細野辰興監督の新たなマスターピースでした!
    まずいなぁ、『貌斬り』の余韻で眠れない(^。^;)

    じぇれ@KAOKIRIはいいぞ♪さん 1
    じぇれ@KAOKIRIはいいぞ♪さん 2